October 15, 2007
■朝日岳に登る
昨日の日曜日、山形県の西側、朝日岳に登って来た。
東京に住む妹が山好きの父親に久しぶりに本格的な登山をしたいとリクエストしたらしい。僕は東黒森山などの小さい山は時々登っていても本格的な山登りはずいぶん久しぶりだったので体力的に不安があったのだが、まあせっかくの家族の誘いだし、行ってみる事にした。(続きは下のread more から)
出発は朝の4時半。6時半に登山開始。歩き始めてすぐに思う。「こりゃ失敗だった。」
普段の運動不足はあっと言う間に露呈した。以前は登山など誰と行っても先頭で後から来る人を待っている方だったのに、今日は父と妹に見る見る引き離されていく。山好きでしょっちゅうあちこち登っている父は仕方ないとして、妹にまで置いていかれるとは。しかし聞けば妹はこの日のためになるべく電車を使わず歩いたり、ジムに通って走りこんだりのトレーニングをしてきたそうである。
確かに僕は山を甘く見ていたかもしれない。だがそれはもう後の祭りだ。とりあえずは二人に追いつくことよりも、後ろの老人登山クラブの皆さんに追いつかれない事を目標にする。あの集団に飲み込まれたらまず間違いなく「おにいちゃん、だらしないな〜。」的な視線と突っ込みを受けることになるだろう。
そんなこんなでゼーゼー言いながら登り続ける。父の話では目標地点までは4時間ほどあるらしい。まじかよ。まだ30分だぜ。こりゃ場合によってはリタイアもあるかな…。
そんなふうに悲観的な思いに囚われながら歩き続けるうちに、自分の中である変化が起きていることに気がつく。そう、これは以前も登山の最中に感じたことがある。名づけて『登山開始一時間の法則』である。
これはかつて頻繁に登山をしていた頃に気がついたことなのだが、どんなにきつくて、もう帰りたいと思っていても、だいたい一時間ぐらいすると足が勝手に動くようになって、とりあえず前に進むようになるのである。クライマーズ・ハイと呼ぶほど極限的なものではないが、つまりはリズムに乗ってくるのだ。
そうなるとひとまず頂上までは行けそうである。だが、きついことには変わりない。するとだんだん、こんな時の対処法も思い出してきた。頭の中で別のことを考えたりするとよいのである。中学生くらいの頃は『安全地帯LP脳内全曲再生』 とかをよくやった。CDじゃなくてLP。まあどっちでも良いのだが。あとは『天空の城ラピュタ脳内全編再生』 とかもある。山の中では宮崎アニメはイメージしやすいので特に良い。
しかし今になって玉置さんもパズーもシータもムスカ大佐もあるまい。とりあえずは思いつくままに細切れにあれこれ考えていると、いつの間にか3時間あまりが過ぎ去った。ペースは遅いままだが、周りを見渡してカメラを構える余裕も出てきた。山頂近くはちょうど紅葉が真っ盛りだった。まさに天空の錦絵巻。
↑写真はデジカメで撮ったもの。僕の安デジカメの低スペックでは現場の美しさが伝えきれないのが残念である。アナログカメラで撮ってきた写真はいずれCafeの方へアップするつもりだ。
朝日の最高峰は『大朝日岳』という場所になるが、そこまでは時間と体力的に無理なので、その手前の『銀玉水』で今日は終点。昼食にする。ここまで5時間かかった。
↑このあともちろんコーヒーもいただく。
今日はすばらしい秋晴れに恵まれ、最高の登山日和だった。満足感に満たされながら下山の途に着く。帰りは下るだけだから楽勝。スタスタ〜っと降りて帰りは温泉にでもつかって…、って、帰りの方がますますしんどい。
これも思い出した。登山は降りるほうが神経を使うし、足に負担がかかるのである。ましてや登りで体力を使い切り、痛みと疲労で足がガクガクの僕はなおさらである。
今にも座り込みたい気持ちを何とか奮い立たせ、のろのろと坂道を下る。連れの二人とは登り以上に引き離されてしまった。後ろから追い抜いていく人ももういない。前にも後ろにも、僕は山中ひとりきりになった。
朦朧としほとんど惰性のままに足を踏み出しているような状態なのに、しかし僕は何か最近感じたことのない心地良さを感じていた。
これが山なんだな。この風景とこの空気。そこに自分が溶け込んで行くような、深い山だからこそ味わえるトランス感覚。
帰りは温泉で一風呂浴びた。最高のひと時。
その夜、軽い脱水症状で頭痛に悩まされながらも、身体の内側の小さな細胞までがリフレッシュしたような気分の中で、僕はぐっすりと眠った。