September 30, 2007

■東黒森山に登る

 今日は軽く山の空気を吸いに、一人で県民の森にある東黒森山に行ってみることにした。うちのセニョリータは美容院に行くからいいと言う。
セニョ 「だって髪ボサボサでしょ〜。」
僕 「あ〜。確かに北京原人みたいだね。」
 視線に殺気を感じたので静かに家を出る。正直であることは時に罪でもある。

 さて県民の森を車で登る。途中で銀色のインプレッサに張り付かれた。だが日曜の午前だし、そんな気分でもない。「悪いな。今日は山の空気を静かに吸いたいだけだ。走(や)るなら一人で走ってくれ。」 どこかで抜かせようと思ったが、そのstiはいつの間にか姿を消してしまった。

 登山道の上り口の広場に車を止める。人影はまばらだ。広場で遊ぶ家族連れのほかには、登山客は僕一人のようだ。
 ひとり山道を歩き出す。この夏に遊仙峡やら羽黒山やらに登ったせいか、登りはそれほどきつく感じなかった。ほとんど休憩も入れずに20分で頂上に。
 今日は朝から薄曇りだったので景色を心配していたが、秋の空は高く、今日は蔵王〜月山〜朝日と、山形の周囲の名峰を見渡すことが出来た。

遠く蔵王を望む
↑山形盆地と蔵王山。

 昼食を持って来ていればゆっくり休むところだが、今日は10分ほど休んで早々に下山する。
 下山では音楽を聴きながら歩くことにした。本来は山でウォークマンは反則だが、まあ本格的な登山ではないし、周りに人もいない。自然の中で聞く音楽というのもオツなもんだろう。
 実は以前、同じように音楽を聴きながらの登山を同じ場所で試したことがある。その時はクラプトンを聴いたのだが、まったく周りの空気や歩調のリズムに合わなくて大失敗だった。で、今回はクラシックが良いのではないかと思い、ベートーヴェンの交響曲第六番『田園』をチョイスした。これがなかなか、山の緑の風景に合って快適である。ボリュームは限界まで絞り、なるべく周りの木々のざわめきや鳥の声も聞こえるようにする。安全面でもその方が良い。

 登りの時は歩くことに懸命で周りの風景までには目が行かないものだが、下りはゆっくり歩いて色んなものに気が付く。
 登山道にせり出す楓の葉は夏の香を残す緑色に染まっているが、まもなくその身を真紅に変えることだろう。山は近々、一年のうちで最も美しい爛熟の季節を迎えるのだ。

 車に戻るまで約50分の行程。ただ登って下るだけなのに、気持ちも身体も新鮮になれるから、山はいい。下りのハンドルさばきも軽快だ。


 



16:17:53 | woodcat | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks

September 02, 2007

■Day 3 羽黒山にのぼる

 昨日の三日目。羽黒山に登ってきた。
 車で一気に頂上まで登ってお参りだけすると言う事も可能なのだが、やはりあの石段を登ってこそご利益があるというもの。汗だくになりながら何とか二千段を超える石段を登りきった。

三神合祭殿

 高校の時、遠足だか研修旅行だかでここに来た事がある。その時は全員弁当持参で、昼食時には広場に敷物を広げたりして思い思いに食事を取ることになっていた。
 しかし僕は「荷物になるから」と言う理由で弁当は持っていかず、ひとりで土産物屋の二階の食堂でラーメンを食べたと言う思い出がある。当時の先生も苦笑していたが、その話をしたらうちのセニョリータに「あんたって前からそうなのね。はぁ〜。」みたいなデカいため息をつかれた。

 しかしこの類の寺社仏閣に行くといつも思う。僕らは今、お参りに行くには車でササッと乗り付けるだけだが、昔の人々は遠くからはるばる歩いてたどり着いたのである。そして眼にした羽黒山の山頂のような壮麗な建造物は、どれだけ神々しく見えたことだろうか。それを思うとき、僕は信仰というものの本質の一片を垣間見る思いがするのである。



10:59:32 | woodcat | | DISALLOWED (TrackBack) TrackBacks